2019年に書いてたcsunの日記、その2

前書き

2019年3月に、CSUNというアメリカのカンファレンスを見に行っていました。そのときにどうやら日記を書いていたらしいです。ぜんぜん覚えていなかったんだけど、今発掘しました。この日記、途中で切れているのですが、なんか面白いので、途中まで公開しようと思います。暇つぶしに読んでね。

なお、漢字が間違ってるかもしれないし、言ってることが間違ってるかもしれません。そういうのは全部ご愛敬ってことでよろしくお願いします。

1日目

3月11日、午後2時。ついにこの日がやってきた。CSUNツアー参加者たちは、成田国際空港第一ターミナルに集まっていた。当然、私もである。…とはいえ、知らない人ばっかりである。ここ1ヶ月ほど、ずーっと山梨で自堕落な生活を送っていて、いきなりこんなところで社会復帰できるのだろうか…と思いながら、各自自己紹介を追えた。現地で合流するメンバーなどもいたりするみたいだが、とりあえずここから行くのは10人強らしい。

全日空173便(たしか) ロサンゼルス行き。これが、我々を運ぶ航空機だ。ボーイングのどれかとかはよく分からないけれど、500人ぐらいは乗れそうである。飛行機の搭乗手続きは、障害者手帳を持っているといろいろ優先してくれる。そのおかげで、特に並んだり詰まったりすることもなく、ファーストクラスのVIPな人たちよりも先に搭乗することができた。これは余談なのだが、飛行機の荷物検査などで白杖を検査に出したとき、検査中は係員が付いてくれることになっているのだが、この担当をしてくれる人、必ず私の両手をつかむのである。でもって、自分は後ろ歩きをしながら誘導してくれるのである。これは、航空会社の誘導マニュアルにそう書いてあるのか、すごい気になる。すごい聞いてみたいけれど、常識人であろうとしているので、聞かないように我慢している。

午後3時40分過ぎ、我々を乗せた航空機は、ロサンゼルス国際空港(LAX)に向けて、成田の地を離れた。右側の席は空席になっており、左隣には、アメリカン・アクセントの英語を話すお兄ちゃんたちが座っている。なにやらいろいろ話しているみたいだったけれど、彼らは最近の若いアメリカンらしく、FワードやSワードを3分に1回は挟んでいた。でも、まだ甘い。うちの大学でたまーに一緒になるよっともは、30秒に1回言っている。

しばらくすると、日本語を話すCAのおねえさんがやってきて、スナックをくれた。国際線の中でもらえるスナックといえば、 pretzels だろう。久しぶりだなあ pretzels pretzels ふっふーんと思いながら開けたら、おせんべいだった。ちょっと残念。てかぜんぜんそれっぽい雰囲気がない。とはいえ、過去に国際線に乗ったのは英国のどっかの空港に行くための2本だけだから、まあこんなもんなのかもしれない。ついでに、日本語を話すCAのお姉さんとかいったけど、ネイティブの発音で英語を話しているCAが一人もいなかった。たぶん、ANAとスターアライアンスの共同便ということにはなっていても、たぶんANAがメインなんだろうなと思ったりした。知らんけど。

さらにしばらくすると、機内食が運ばれてきた。どうやら、選べるらしい。基本的には、和食と洋食のどちらかを選択できるようだ。自分が食べなかったほうはよく覚えていないので割愛するが、基本的に私はずっと和食を食べていて、最初はカレーだった。固めに挙げた(と思われる)レンコン(徳島県産らしい)が入っていて、すごく美味しかった。最初の内は写真とか撮ってないのでごめんちゃい。まあとにかく美味しかった。しかも、メインディッシュのほかにも、サラダや巻き寿司的なものがついていたり、デザートにカップのバニラアイスやチーズやクラッカーなんかがセットになっていて、ボリューム満点だった。英国のどっかの航空会社のときなんか、なんかもう忘れたけど、とにかく食べにくかったことしか覚えてないもんな。やっぱ日本っすよ。日本の航空会社が好きな度合いが37ぐらい上がった。

さて、当然のことながら、飯は大事だ。「食えるときに食えるものを食えるだけ食う、そんな胃袋を持っているべきだ」と、70年代中盤から後半に書けて活躍した「アウターヘブン」の(架空の)司令官である和平・ミラーも言っているぐらいだから。というわけで、食えるものは食えるだけ食った。素晴らしい。では、その次に、ともすればそれ以上に大事な物はなんだろうか。睡眠である。この世で最も大事な物は睡眠なのである。ところが、ここで問題がある。私は、飛行機の中でさくっと睡眠を取ることができない。なぜかって?それは俺のほうが聞きたいよ。とにかく、飛行機の中で眠ることは不可能。だが、アナハイムに到着するのは昼前であり、午後はみんなでディズニーランドに行くとかいう話になっているのである。アナハイム=ディズニー?みたいなイメージさえあるほど、アナハイムといえばディズニーである。そんな有名で楽しそうなところに行かないなんて選択肢は当然ないが、かといって、なんとかディズニーで過ごせる体力を温存しなければ、生きて日本に帰れない。ファースト・クライシス。ということで、温かい飲み物を飲んで、できるだけじーーーーーーーーーーーーーっとしていることにした。音楽も聴かない映画も見ない。ただ時間が過ぎるのを待つ。でも、いがいとそれで10時間でも過ごせるもので、2回目の機内食のとき以外はずーっとそうしていた。

2回目の機内食は、鮭(たぶんフレーク)が散らしてある、あっさりとした混ぜご飯だった。うますぎる!もっと食わせろ!ものを腹に収めると、眠気やだるさも多少は増しになるもので、飛行機を降りてもまだぜんぜん体力は持ちそうだという確信を得た。さて、そろそろLAXに到着するぞ。

ゲートの出口前に、英語を話すおじさんが待ち構えていた。英語の教科書でよく出てくる、「なにしにアメリカきた?」って聞かれるあれである。まあ適当にカンファレンスだとかディズニーも行きたいだとかなんとか言っておいた。何年英語を勉強してるのか聞かれて、適当に6年とか言ってしまったが、実際は9年だった。まあそんなにかわんないよね!

ロサンゼルス国際空港(LAX)。本当は色々説明したいところだけれど、とにかくおぞましいほど広いということぐらいしか分からない。だって、我々が到着したのがゲート134とかそんなところだということは、ゲートは134箇所以上ある可能性が高いわけで、ゲートが134箇所もある施設なんていうのは、もう私の理解できる範囲など何十億倍も超越しているわけである。

LAXからアナハイムの会場までは、車で1時間ほど走る必要がある。ということで、会場の隣にある、我々が宿泊予定のホテルに向かって、バスで出発した。そこで、このへんの常識についてのブリーフィングを受けた。

この時期の気温は10度から20度の間。たまーにそれよりもはみ出すことがあるけれど、基本的には過ごしやすい機構で安定している。ほとんど雨が降らない。

通貨はUSD。まあそりゃそうか。チップ制。たとえば、ホテルの部屋を出るときには、部屋の掃除をしてもらうチップとして$1を置いていく。タクシーもチップを上乗せする。レストランは、店員が給仕をしてくれる系で、5人以上で行く場合は、だいたい飲食代の15~20%を乗せる。ただし、飲食店側がチップをあらかじめ計算して載せてもいいというルールがあるため、receiptを見て、チップが乗った金額なのか、乗る前の金額なのかを確認する必要がある。カウンターで注文する系は、特に店員に食事の世話をしてもらったりするわけではないので、チップを支払わなくて良い。

アナハイムには、ディズニーランドと、ディズニー・カリフォルニア・アドベンチャーという2つのディズニーテーマパークがある。ディズニーランドは、日本でもアメリカの他の場所でもほとんど変わらず、同じアトラクションが設置されている。ディズニー・カリフォルニア・アドベンチャー(これからはアドベンチャーと省略)のほうは、日本で言うところのディズニーシーのような感じで、その地域独自のデザイン・テーマをもとに設計されており、他に同じテーマパークは存在しない。二つのテーマパークのうちのどちらかにしか行けないチケット、両方のテーマパークを自由に行き来できるチケット、1日だけ有効なチケット、3日間有効なチケット…などなどいろんな組み合わせがあるけれど、入場料はとても高い(1日だけ有効でテーマパーク1個の最安チケットですら$129)。

まあこんなところ。ということで、ホテルにチェックインして荷物を置いた後で、ディズニー行くかって話になった。体力を温存しておいたので、ばっちこいである。とりあえず、せっかくだからここにしかないほうに行きたいということで、アドベンチャーのほうに行くことになった。

ここから色々文章が長いと身構えてるかもしれないが、実はそんなにアトラクションを乗り回したりはできなかった。午後から入場したのと、待ち時間がかなりあったので、食べて、乗って、乗って、食べて、帰る…ぐらいしかできなかった。

私が食べたのは、鶏肉をご飯の上に載せて、そこにオレンジソースとか言うおぞましいものを書けたうえに、それでは飽き足らず実際にミカンの缶詰まで載せちゃったという、私からしてみればそれはもう非常におぞましい、なんとも形容しがたい物質であった。てかオレンジソースってなんだよ。美味しかったのかどうかは、お察し。

車とかに乗れる場所もあったけど、なぜか乗らなかった。そして、エリアとしてはよく分からないが、とりあえずゆらゆら揺れながら回るだけの観覧車みたいなものに乗車した。常に揺れている状態なので、どのぐらい高さが上がったのか、見えないとまったく分からなかったから、ぜんぜん怖くなかった。きっと、見えていたら景色がよかったり、ちょっと怖かったりするのかもしれない。

続けて、インクレディ・コースターというローラーコースターの列に並んだ。ちなみに、並んでいたときは、なんの列に自分が並んでいるのか知らなかったし、そこまで重要視もしていなかった。途中でどうしてもトイレに行きたくなって、列を離脱してトイレに行き、戻ってきたら、なんか声が聞こえた。「this way this way」。言われるがまま付いて行ってみたら、なんか隠し通路?裏口?みたいなところから、さっきまで一緒に並んでた他の人を通過して、優先搭乗になった。ほぼぼっちでローラーコースターである。安全バーは、上から降りて首を固定するタイプのもの。これはやばめのやつじゃないかと思い始めた。

“Hold on! 5, 4, 3, 21go!”

ビューン!!!!!

……いきなりぶっ飛んで加速するやつだった。まぁ、カウントダウンのときにそうじゃないかとは思ったけど。落ちる速度と角度が、ディズニーにしてはきつい。そして、まさかの360度1回転があった。ぼっちで落ちて1回転。たしかローラーコースターがダメって人が混じってたような気がするんだけど、このあと大丈夫かなあ…。ちなみに私は、多少は大丈夫だが、富士急の有名なコースターは敵前逃亡した経験がある(ド・ドドンパだけはだまくらかされて乗せられちゃったが)。あとで調べてみたら、去年の夏にリニューアルされたコースターらしく、最初の加速は時速90kmまでいくらしい。私がそこまでビビらずに済んだのは、きっとド・ドドンパに乗せられた経験があったからだろう(あっちは時速180km)。私をだまくらかした大学の某先輩にちょっとだけ感謝した。

先に終わってしまったので、全員が戻ってくるのを待ってから、腹ごしらえをすることにした。ちなみに、ローラーコースターがだめだといっていた人は、直前で全てを諦めたと言っていた。そして、いい感じにゲッソリしていた。私もド・ドドンパからは逃げられなかった過去があるので、深い同情心をおぼえた。

で、腹ごしらえである。写真がないのだが、これがもう…おぞましい経験だった。あ、訂正。食べ物はまあよかった。うますぎではなかったけれども、ノーコメントぐらいだった。ところが、飲み物が…。あ、また訂正。あれは飲み物ではなかった。名前はレモネードと書いてあるのだが、かき氷のシロップを2.178683e+24倍ぐらいに濃くして、そこに別のシロップを投入して、なにかよく分からない黒魔術的な化学調味料を混ぜて、それを巨大コンクリートミキサー車に入れて、アウトバーン(ドイツの高速道路)を時速160キロで走り抜けながらアブラカダブラを唱えて数台の対向車を巻き添えにして1週間ミックスし続けたような味がした。もう自分でもなに言ってるのか分からない。イギリスの甘いジュースもこんな味がしたような記憶がよみがえってきた。結局どうしても飲むことができず、あまりに不憫に思ったツアーメンバーの優しい方が、お金払わなくていいよって言ってくれた。ちなみに、それを食べたり飲もうとしていたりした横は、さっきのインクレディ・コースターの乗車位置になっており、「5, 4, 3 21go! ビューン! ギャァァァァァ!!!!!!!ッ」と、何人ものお客さんが90キロでぶっ飛ばされ続けていた。

アトラクションの待ち時間がかなり長かったこともあり、時間は夜の6時を回っていた。アナハイムは気温が下がり始め、いい感じに眠くなってきた。まだ元気な人たちは、名前は知らないが、垂直落下するアトラクションに並ぶために分かれていった。7時半まではパークを回る電車に乗ったりしていたけれど、当初の予定よりも別行動組のアトラクションが待っているようだったので、我々は先に帰ることにした。

帰りがけに、ドラッグストアで朝ご飯を買うことにした。とりあえず、どんなものを食べたらいいのかすこし考えて、まあサンドイッチならいいだろうということで、サンドイッチを買った。ついでに、サンドイッチがどうしてもダメだったときのために、カットフルーツを買っておいた。あと、ホテルで飲むと高いので、水も買った。ホテルの部屋にある水を気づかずに開けてしまうと、なんと$5もするらしい。

部屋に到着するなり、別途に倒れ込んで寝た。なんか気持ちよく眠れたと思ったけれど、4時間ぐらいで目が覚めてしまうことが連続した。でも、まあとりあえず、最初の1日を生き延びた。山梨での自堕落な生活からの急激な変化にも、なんとか身体は付いてきてくれたようであった。飛行機に乗るところからディズニーまで、時差の関係で全部3月11日の出来事であった。